らびっとクリニック院長の医療雑話

Oさんの訃報

投稿日:2014/10/29

Oさんが死んだ。

肺癌が見つかって2年半。

遺影の写真は若々しく、斜めからカメラを見おろす目には力があった。奥さんに何年か前の写真ですか、と伺ったら亡くなるほんの1ヶ月前のものだと言う。車椅子で東京のホテルに49歳の誕生日のお祝いに食事に出かけた時のものなのだそうだ。その3週間後には車椅子で上半身を支えることさえ困難になりながらも、最後まで止めることのなかったタバコを吸おうとしたのだと奥さんは語った。

Oさんと4年前に出逢わなけばらびっとクリニックがここに開院することはなかった。彼はクリニックビル企画と不動産管理をし、地主のSさんが土地を提供し、私はこの場所での開業を決めた。幾つかの偶然が重なってクリニックビルが完成した。
 
彼が不動産管理と薬局経営も手がける、二足の草鞋で走り出した矢先に病気が見つかった。長く続く咳のため私のクリニックを受診した。胸部写真を撮ったところ肺に影が見つかり地元の病院へ紹介し肺癌の診断に至った。
 
私はOさんに、仕事を離れ療養に専念することを勧めたが、彼は始まったばかりの薬局経営とクリニックビルの管理を手放すことはなかった。
 
その後私たちは、幾つかの衝突を繰り返す中で互いの気持ちが少しずつ離れていった。開院までの1年半、繰り返し繰り返しファミレスで二人、夜通し夢を語りあった事が思い出せなくなった。
 
通夜で奥さんとの少ない時間の立ち話で、彼の頑なな仕事へにこだわりの理由を知った。彼はクリニックビル経営をおそらく人生最後の切り札だと考えていたのではないか?それと残される人たちに何を残すべきかを考え抜いたのであろう。私は彼のgreedとも思えるやり方を好まなかった。彼は強引すぎると眉をひそめた。しかし彼は可能な最大限の努力をしたたけのことだったのかもしれない。あるいは家族のために。
 
棺に横たわる彼の口は僅かに開いていた。奥さんは笑ってるようだといった。しかし私には笑っているようには見えなかった。何か失った言葉を思い出そうとしているようだと思った。何を言いたかったのだろう。
生前弱音を口にすることがなかった彼は、死についてもその恐怖も語ることはなかった。「先生、治るかもしれないと思っているんです。生き延びつつければ死ぬことはないのだから」
私は医者なので統計的な事実を信じる。stage4の肺癌患者が5年を超えて生き続けることがほとんどないことを知っている。彼も知識としては知っていただろうがその考えに汲みすることはなかったのだろう。
 
葬儀の日の夜、私は彼のための酒を飲むことにした。死ぬ前まで確執を解く努力をしなかった後悔を酒で洗い流したいと思ったのだ。
 
 
 
 
 
何故らびっと? Concept 院長ブログ 医療雑話 クリニックからのお知らせ Doctor's Fileにて紹介されました
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