らびっとクリニック院長の医療雑話

12年目の思い

投稿日:2015/1/6

私は2003年の春、満開の桜の季節に大宮の大学病院に赴任しました。7年間常勤医として働き、退職後今日までの5年弱を非常勤医師として(僅かの外来数ではありましたが)リウマチ膠原病科の外来を担当させていただきました。

膠原病は長期にわたる病気なので12年前から主治医として診させていただいている患者さんもまだ少なからずいらっしゃいます。一方この数年の間でお亡くなりになった方も少なくありません。私を含めて生者にも死者にも等しく時間は経過してきたのです。平穏と思えても10年に余る年月は病気にもその人々の営みにも恐らくは不可逆的な変化を刻んできたのだと思います。

この12年の月日の中で人生の幕を閉じられた方々を思い出すたび私は医師としての感情と同時にもう一つ別の感情が沸き起こることを最近特に感じるようになりました。古くから知る患者さんが色々な病院で最期を迎えられたことをご家族から、また担当医師から伺うたびに悲しみ・驚きと同時に感じることは、(不謹慎に聞こえるかもしれませんが)ある種の安堵にも似た静かな空虚感です。これは2年前に肺癌の闘病の末に父が死んだ知らせを聞いた時の気持ちに近い。私はあえて自分の仕事を片付けてから2日後に帰省しました。息絶えて1日半経過した父に対面した時の気持ちを思い出します。

昨年も幾人かの患者さんの訃報に接しました。多くの患者さんの最期は突然であったかもしれないが、私と患者さんと家族にとっては数年にわたる長い道のりのゴールを迎えたような感じもするのです。「お疲れ様でした。長いお付き合いでしたが私は皆様の闘病に多少でもお役に立てたのでしょうか。」と問いかけたくなります。若い頃の私は死んだ患者さんを前に、治療の妥当性を検証して悔いばかり感じていた時期がありましたが、今はそのように感じることは少なくなりました。成熟して不適当な治療が減ったということではありません。死に対して無感覚になったとも思いません。むしろ若い時よりも死のことを深く考えるようになったと思っています。「うまく治療できたのかな、間違いはなかったかな」というよりも「うまく患者さんに寄り添えたのかな、傷つけたりないがしろにしなかったかな」という反省をすることが多くなってきました。このような疑似家族的な思いを持つことが医師として正しいのか間違っているのか、成長なのか後退なのかはわかりません。ただそういう医師になるべく、わたしは年月をすごしてきたということなのだと思います。

私は一瞬で勝負を決める診療科や、全体的ではなく部分で関わる診療科や、治療が完結したのちには関わりが消える診療科の医師ではなく、いわゆる難病と言われる慢性疾患患者と長い時間を共有する役割の医師であることをよかったと思えるようになりました。今では「患者が自分の人生の師である」というようなことも臆面もなく言える。

なぜこのような個人的な感情をあえて記すかというと、今日は大学病院で2つの出来事を通して改めて人間の死について強く意識したためです。一つはある若い医師の早すぎる死の知らせを古い同僚から伺ったこと。もう一つの出来事は、もしかしたら遠くないかもしれない死に臨んでなお、懐かしい笑顔で私の訪室を喜んでくれた古い患者さんとの邂逅。

私は本年の3月末をもって自治医科大学さいたま医療センターでの外来を終了することになりますが、この12年間の全てに深い感謝を感じております。そして私はこれからこのクリニックが果たすべき役割のことを考えています。

何故らびっと? Concept 院長ブログ 医療雑話 クリニックからのお知らせ Doctor's Fileにて紹介されました
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