11歳の小娘を毎朝学校に送り届ける親バカ的日課を妻から課せられている。しかし車の中の会話は貴重なコミュニケーションの機会でもある。私は多忙の隙間の時間を使っているはずなのだが、娘は父親を暇人だと信じている。娘は生意気だが、間違った言葉をよく話す。靴下のことを幼少の頃長い間「ソッスク」だと言って譲らなかった。今朝の車中では私が発した「手持ち無沙汰」という言葉を復唱して「てもちぶたさん」という。7月4日はアメリカの独立記念日だが「国立記念日」だという。無知なのかふざけているのか、よくわからない。多分前者だろう。
言葉に不自由なのかと思ったら、母親との大げんかの罵り合いでは奇妙に論理的に反論して負けていない。激昂した母親は支離滅裂になるので、たいがい小娘の方が6対4で勝っているような気がする。父親は風呂かトイレに隠れることが多い。中途半端に仲裁に入ると両者から返り血を浴びることになるからだ。
「ねえパッツ(父親を呼ぶときの二人称、小娘の造語)夏の季語を入れた短歌を作る宿題手伝ってー」と、ものを頼むときは調子が良い。
かき氷 一口たべてキーンとする 色とりどりの山のいただき(ます)