らびっとクリニック院長の医療雑話

身体診察というメッセージ

投稿日:2013/8/25

Dr. エイブラハム バルギーズの「医師の手の持つ力」という講演をたまたまNHKの番組で知りWebの日本語訳とともに聞くことができた(http://www.ted.com/talks/lang/ja/abraham_verghese_a_doctor_s_touch.html)。
この講演の素晴らしいところは、昔ながらの身体診察を「儀式」(ritual)という言葉を使って、医療の本質的な営みとしてその必要性を説いていることだと感じた。
近年医師の教育の現場では、回診やカンファレンスを患者データにアクセスできるコンピュータを使って行われる。そこでは、生身の人間に触れて診察する行為がともすれば軽視されがちになる。
医師はコンピュータの中にある、データとしての患者 、”iPatient”だけを相手に診療し患者に触れることがない。
極端な例として、過去数年間に何回も病院の受診歴があるにも関わらず、末期の乳癌になり救急で運び込まれるまで気づかれなかった例をあげている。

彼は、AIDS患者の最終末の時期の診察の時に、痩せこけた胸を打診し触診し聴診するが、それは心音の異常を見つけるためのものではないことに気づく。それは医師が患者に一つのメッセージを伝えるために行う、省略できない根源的な医療行為であるということに。
彼はこの20分ほどのトークの最後を下記のように締めくくる。
私はただ深く感動し、そして自分自身の医師としての未熟さを深く恥じた。
ーーーーー
(死にゆく患者の診察に際して)

打診し触診しそして胸部の音を聴く
彼はその時点で気づいていたに違いないだろう
これが自分にとって必要なだけではなく
私にも不可欠なことだと
お互いに省略するわけにいかない儀式なのだ
肺の水泡を見つけるためではなく
心音の異常を探すこととは全く関係なく
医師が患者に伝えるべき
あのメッセージを伝えるための儀式なのだ
傲慢になった私たちは
そこから押し流され
忘れてしまったかのようだ
知識を急速に増大させ
人間の遺伝子地図を踏破しつくし
無関心に陥ったかのようだ
儀式が医師の癒しであり
患者に欠かせないことが忘れられ
儀式の持つ意味と
患者に伝えるべき唯一のメッセージが忘れられている
当時の私が伝えつつも
理解は十分ではなかったが
いまではよくわかるようになったメッセージである
I will always, always, always be there
I will see you through this
I will never abandon you
I will be with you through the end
(私はいつも、いつも、いつもここにいて、最後まで見届けます。決して見捨てません。最後まで一緒です。)

translated by Shigeru Masukawa, TED Conferences

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