リウマチクリニックの院長は圧痛計をタエコさんの肘の外側の出っ張った場所にあてがって言いました。
「この場所に少しずつ圧をかけていきますので痛みを感じたら教えてください。線維筋痛症の方では4kg以下で痛みを感じるはずです。」
圧痛計というのは先端に丸い1cmくらいのゴム球がついた金属性の棒で、ゴムを押した圧力が、握り部分の円盤状の目盛上に表示される仕組みの簡単な機械です。タエコさんが痛いと訴えた時の目盛は1.5kgでした。
「1.5kgで痛みを感じたのでタエコさんの疼痛閾値は1.5kgと言い換えることもできます。閾値というのは、何かの感覚として認識する上で必要な最小限の刺激量と言えます。疼痛閾値が小さい人ほど痛みを感じやすいということです。先ほど線維筋痛症の痛みは『見えない痛み』と言いましたが、疼痛閾値という形に置き換えると、目に見えてきませんか?」
「つまり私は少しの刺激でも痛みを強く感じるということですか。単なる『痛がり屋』と言われているようで、それも納得いかない感じです…」
「そこが線維筋痛症の難しいところなんです。線維筋痛症の方の脊髄液を調べるとサブスタンスPという痛みを伝える物質がすごく増えているので、患者さん自身は嘘偽りなく激痛を感じているわけなのです。単なる痛がりというだけではありません。ただ激痛の原因は手足や体の痛い部分にあるのではなく、先ほどの話の繰り返しですが、中枢神経系の不具合で起こっていると考えられているんですね。ですから治療薬は炎症を抑える痛み止めではなくて、過剰に痛みを伝えすぎる神経を抑える薬を使います。それから、何かに熱中したり楽しいことをしている最中は痛みを感じにくいということはありませんか。」
「そうですね。最近ヨガ教室に通い始めたのですが、ゆったりした音楽を聞きながら体をストレッチしている時は少し痛みを忘れているかもしれません。逆におばあちゃんのお小言を聞いている時には…」と言いかけて言葉を濁すと、
「痛みがひどくなるんでしょう」と院長が続けました。「ヨガや太極拳、いろいろな有酸素運動は確実に疼痛閾値を上昇させて痛みの感じ方を和らげてくれるのでタエコさんも頑張ってください。動かずに寝ているだけでは良くなりませんよ。」
調剤薬局を出て、桜の咲き始めた川沿いの歩道を歩きながら、タエコさんは少し心が軽くなったように感じました。(この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません)