らびっとクリニック院長の医療雑話

私の中の「自」文化と「異」文化と

投稿日:2015/12/3

2001年3月から2年間米国メリーランド州で生活しました。長女は地元の公立小学校に通い、この土地で生まれた次女にはHannah(花)というセカンドネームをつけました。この2年間ほど自分の中の日本人を強く意識した時期は後にも先にもありませんでした。日本人どおしが集まれば、必ず日本文化を賛美したり他国を貶したり、またその逆の言説も多く語られました。しかし何を言っても皆ディズニーワールドやブロードウェイミュージカルが大好きだったし、子供のバースデイパーティではアメリカ式の三角帽子を子供に被らせていたし、10月末のハロウィン、11月下旬からの長いホリデイシーズンをウキウキしながら過ごしていました。結局は馴染んでしまえば自分の中の文化はいかようにも変容するのではないかと思いました。アメリカ人はもちろん、中国人や韓国人、イタリア人やドイツ人、トルコ人、セルビア人と接してみて(多くは子供の親としての付き合いでしたが)、彼らと私たちが違うことよりも似ていることの方がよほど多いことにも気づきました。おそらく明治時代の日本人よりもよっぽど現在の中東人の方がわれわれに近い。研究室の優秀なイラン人医学生の持つ日本車に乗せてもらった時、CDコンポから流れるペットショップボーイズのヒットソングを聞きながらそう実感しました。

私はワールドトレードセンターの崩壊する半年前の春に渡米し、イラク戦争が始まった月に帰国したのですが、帰国の直前にラボのボスが私に言った言葉が忘れられません。「なあ、MASA(私はそう呼ばれていた)、アメリカ人のみんながこの戦争を正しいと思っているわけではないんだ。君がいたアメリカでの2年間はとんでもない期間だったね。君はアメリカを大嫌いになったんじゃないか?」

ジョージWブッシュの1期目を間近で見て過ごして15年後の現在、暴力に満ちた(村上春樹的な)「世界の終わり」があの時のニューヨークから始まったのだと強く感じます。

その後日本で何人かの韓国人、中国人、東南アジア人の患者を見る機会を持ちました。この10数年の日本の政治を見て、忌野清志郎の死をニュースで見て、毎日新聞とTBSの報道番組を見て、SEALDsの学生たちを見て、浦和駅で戦争法案反対の演説をする患者さんと話して、私もか細い声ながら”I am not ABE”とつぶやいている。世界が流動化する今を溺れぬようにと、自分のアイデンティティばかりを声高に叫ぶ人がいる。押し寄せる難民と異文化を排除しようとする人がいる。テレビで日本食の素晴らしさ、日本のおもてなしの偉大さ、ノーベル賞を獲得できる「日本人民族の誇り」、日本が作った世界に誇れる航空機や新幹線、「下町ロケット」。しかし、こういうものばかりが報道の中に溢れかえると私は少し息苦しい。日本食も日本文化も大好きだけど、日本人にノーベル賞をもっともっと取って欲しいけど、そんなことばかりを声高に叫ぶのは日本人の美意識に反するのではないのではないかと。危険に満ちたヨーロッパ、北アフリカ、中東をどこか余所の出来事に思い込もうとする後ろめたさでまた息苦しい。

今週末、浦和美園で杉原千畝の映画を妻と見てこようと思います。私はこの人ほど世界に誇れる日本人をあまり知らない。戦時下日本の官僚組織の中にいながら、民族を超えて人類に貢献した日本人を心から誇りに思います。唐沢さんのカッコ良い演技に期待しながら。

何故らびっと? Concept 院長ブログ 医療雑話 クリニックからのお知らせ Doctor's Fileにて紹介されました
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