昨年より浦和医師会内科医会の膠原病分科会幹事を担当させていただいています。その関係で去る2月4日に浦和医師会の膠原病分科会主催の関節リウマチ治療の講演会を催しました。今回の講演会では慶応大学リウマチ内科准教授の山岡邦宏先生をお招きして最新の話題を講演頂きました。立春の寒い夜にもかかわらず30人弱の医師会の先生方にご参加いただくことができました。
関節リウマチの疫学、病態生理について基本的な話をおさらいしたのち、この10年余りの薬物治療をoverviewしていただき、同時に最新のトピックス、最新薬(トファシチニブなど)の話題などを提供いただきました。
山岡先生は私のNIH留学時代の友人で1年半ほど一緒のラボで勉強した懐かしい仲間です。同じ年頃の子供がいたこともあって当時家族でお付き合いさせていただきました。
私たちが米国メリーランド州にいた年の9月にニューヨークで大惨事がありました。アルカイダによるワールドトレードセンター攻撃です。のちに「セプテンバーイレブン」と呼ばれることになったあの日の朝、いつものように私は実験の準備に取り掛かろうとしていたところでした。英語にとても不自由していた私は、その日の騒然としたラボの状況が全く理解できず、退避命令も無視して実験を続けていたのですが、ボスから英語が堪能な山岡先生に「マサ(私のこと)が状況理解していないから、お前から説明して実験をやめさせてラボから直ちに非難させろ」と指示が出たとのことです(後になって知ったことですが)。山岡先生から「森口先生、とにかくラボを出ましょう。NIHもテロの標的になるかもしれない」と説明されても、よその国の出来事のようで現実感を持てずにぽかんとしていました。山岡先生に連れられて渋滞するNIHキャンパス内の道路から公道に抜けるのに1時間以上かかったような気がしました。
あの日からアフガン戦争、イラク戦争へと続く一連の流れを、アメリカの地で山岡先生も私も見てきたわけですが、10数年経った今も、中東に展開する「テロとの戦い」は収束することはない。あの頃生まれた私たちの子供たちが小学校を卒業し、我々の髪の毛が白く染まり始めても、なおあの頃の世界を覆い尽くした不安が消える様子はありません。
講演会の後懐かしい思い出話とともにそのようなことを感じました。
左は当時のラボの仲間の写真です。その時代のアメリカ社会の空気はともかく、みんな能天気に笑っていました。私(中央左)の左隣の青シャツの好青年が山岡先生です。