らびっとクリニック院長の医療雑話

慰霊登山と癒されぬ記憶

投稿日:2014/11/9

3ヶ月に1回来院する痛風のSさんとは外来でいつも山登りの話をすることになっている。私自身は学生時代に数回四国の山に登ったくらいの登山経験しかないから、山歩きの醍醐味も何もわからないのだが、Sさんとの外来の話のまくらは必ず山のことと決まっている。

それぞれの患者さんと外来診療のたびに必ず触れる話題というものが決まっているのだ。Aさんとは姑のはなし。Bさんとは飲んだくれの夫の話、Cさんとは日本舞踊のお稽古の話、Dさんとは振り込め詐欺の話、Eさんとはヨハネの黙示録の話といった具合に。

患者さんごとのそれぞれの話題の引き出しは私の記憶装置でもある。人一倍記憶力が怪しい私は、患者さんの名前ではなく生活の状況や興味、息遣いなどと病状をリンクさせて記憶することにしている。

Sさん:慰霊登山というんですね。先日谷川岳で出会った80歳の老人は、40年前に大学の教え子が谷川岳で遭難して亡くなったというんですね。以来40年間毎年この時期にここに登ってくるんだそうです。

山岳部の顧問だった方だから計画をしっかり立てて来ているはずなのに、昔のように歩けないのですね。予定時間に目的地までたどり着けない。私はとぼとぼ歩いていたその老人が気になって先を追い越して進むことが出来ず、結局その方と一緒に帰り道を歩くことになったんです。

谷川岳の帰りのロープウェイは17時が最終なんですね。ですからそれに間に合わなければ山に取り残されることになる。私たちは先を越して行く若者たちに「最後に年寄り2人がロープウェイを使うから待っててくれるように」と伝言したんです。なんとかロープウェイには間に合ったのですが、帰りの予定のバスに乗れず1本遅らせることになったんですが、それで良かったのだと思っています。

40年前の11月は谷川岳に例年にない大雪が降ったんだそうです。教え子の大学生が山を降りる事はありませんでした。教師は教え子の身元確認に立ち会ったのですが、それ以後毎年この時期谷川岳に赴き、若い友人のために花を手向けているのだということでした。

私はしばしば思うのだ。時に若い死は美しく、老いた生はただただ苦しい。花火のような若い頃の一瞬のきらめきの記憶を除けば、遠くない自らの死を見つめながら生き続けることは容易ではない。また先に逝った他人の死を悼み続けることも同様に苦しい。ただ人は等しく忘却する。その忘却という救いがあるからこそ、残された人間は苦しいのこりの生に耐えられるのではないかとも思う。

私はまたしばしば思うのだ。ある種の患者は語ることでしか「忘却という癒し」を得ることができないのではないかと。痛みもまた忘却の叶わない記憶であるに違いない。癒しを求めて語られる言葉を誰かが受け止めざるを得ない。その役割を引き受けることが私には可能であろうか?

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