1948年9月21日、彼はミネソタ州ロチェスターにある病院の一室にいた。29歳の関節リウマチの女性に彼の信念の薬を使おうとしていた。製薬会社に懇願してやっとの思いで手にいれた薬を持つ手は興奮で震えていたかもしれない。女性は4年前から関節リウマチを発病し激しい関節炎のためベッドから起き上がることもままならなかった。彼にはその薬が必ず彼女の関節の腫れを和らげるであろうという確信があった。天才的な臨床医としての洞察が、彼の信念を揺るぎないものとした。薬を提供した薬品会社はMerck社、薬はその頃「化合物E」と呼ばれていたが後にコルチゾンと名付けられることになる。彼の名はPhilip S. Hench、病院の名はMayo Clinic。Henchはこの有名なアメリカトップクラスの実力を誇る病院のリウマチ医であり、この業績により2年後にノーベル医学生理学賞を受賞することになる。
コルチゾン100mgを筋肉注射されたその女性は翌日、おそらくは歓喜に満ちた笑顔で廊下を歩いたのであろう……しかしここで物語は終わらない。彼女の軽快なステップとともに、またノーベル賞の喝采とともに、ステロイドホルモンとリウマチ医の苦難の歴史が始まることになったのである。