らびっとクリニック院長の医療雑話

医療従事者自身が病気になった時

投稿日:2012/1/16

子供の頃の私は読書があまり得意ではありませんでした。得意ではないというのは、嫌いという意味ではありません。長い小説を最後まで飽きずに読み通すことが苦手だったのです。そんな小学生の私が初めて投げ出さず最後まで楽しめた長編(中編?)小説が、先日お亡くなりになった北杜夫さんの「船乗りクプクプの冒険」でした。中学生以降、北杜夫さんの本を集中して夢中で読み耽りましたが、「楡家の人びと」だけは手をつけてはみたものの歯が立たず、結局読み終えたのは40才台になってからでした。医者のライフスタイルがある程度わかった後に読んだのでこのときには理解できるところが多かったのです。とくに主人公の養子、徹吉の生き方や葛藤に共感を覚えました。

北杜夫さんといえば躁うつ病(現在は双極性障害と呼びます)を長らく患っておられたことでも有名です。自ら患者としての体験をユーモラスに描いた作品も多いと思いますが実際の闘病生活はおそらくは深刻な事態も少なくなかったのでしょう。精神科医でもあった北杜夫さんがご自身の専門領域の病気に罹患したことをカミングアウトするには大変な勇気が必要だったのではないかと思います。医師は多くの場合、精神疾患はもちろん生活習慣病やちょっとした体調の不良もあまり同僚に話さないことが多いものです。それは一般的な「恥ずかしさ」もありますが患者の役割を正しく演じることに慣れていないことが大きな理由ではないかと私は思うのです。医者は治す人、患者は治される人というある種のパターナリズムを無意識のうちに背負わされている医師は少なくありません。医師どおしの会話の中では、患者への同情・共感をあえてはずして、疾患そのものの自然科学的事象についてのみ議論することが多いと思います。特に内科系の症例検討会などでは、疾患の分子的現象から疫学的考察についてまで大いに「科学的な」議論は戦わせますが、そこに生々しい人間のやまい、こころ、いたみについての言及は意識的に排除するのではないかと思います。

私のリウマチ学の師匠は、自ら勤めた病院で末期癌の闘病を遂げられました。優れた臨床家であり教育者であり師匠であった先生の、自ら病気を後輩医師や研修医にさらけ出された勇気については今なお私は驚嘆の思いを禁じ得ません。病み衰えてもなお先生の訓示の言葉は力強く、化学療法のため薄くなった頭髪をさらし車椅子を使わざるをえなくなってもなお先生は余りある大きさで私たちを圧倒しました。

私が当直の夜、ベッドサイドで先生の左腕に点滴ルートの確保をしていたさなか先生は付き添いをされていた奥様に一言、「明日はお粥を食べてみたいな」と静かにおっしゃったことが忘れられません。その言葉の寂しさを思い出すたび今でも私は目頭が熱くなるのです。それは患者としての先生を強く感じ、同時に奥様への深い労いの気持ちを思い出すからに違いありません。患者としての先生は、痛々しくも潔く病気と対峙されていました。師匠はご自身の闘病の最期の姿を後進に見せることによって、私たちへの最終講義を締めくくろうとされておられたように思われてなりません。

北杜夫さんも私の師匠も自分の病いを他人にさらけだすことで、より深くより強く、忘れがたい影響を周囲に与えることになりました。多くの医療従事者が、自らの病気や健康、死生観について、EBMだけでは尽くせない、実体のある物語として人に語ることが大きな意味があるのではないでしょうか。それは医師が宿命的に逃れられない「医師であるという呪縛」から解き放たれて自らの「患者性」に気付く行為であるからです。そしてそれは言いかえるならば、患者というものを真摯により深く理解しようとする作業に他ならないからです。「よき医師はよき患者」。

何故らびっと? Concept 院長ブログ 医療雑話 クリニックからのお知らせ Doctor's Fileにて紹介されました
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