らびっとクリニック院長の医療雑話

医師の言葉の暴力

投稿日:2015/10/22

「私は、、もう死ぬ覚悟があるのですから、薬など飲みたくないのです。この前いただいた薬はひどい副作用で数日でやめてしまいましたよ」

往診さきで、いきなりの先制攻撃を受け私はたじろぐ。患者は80歳台女性で大病院で難病を宣告され、ステロイド治療を提案されたが、副作用のリスクに納得できず治療を受け入れられなかった。治療しなければ余命XX年だと宣告され、ますます 彼女は堅い殻のなかに身を閉ざしたようであった。

 私が月2回外来勤務で連携している診療所から、往診に出向いた。私は少し気持ちに余裕があったので、まずは彼女の言い分を聞くことにした。

「ステロイドは少しもききませんでしたか?」

「足の腫れはすっかり引いて楽になりましたが、胃が辛くて手足のしびれも良くならず・・・」

「ステロイドはこわい薬だと思ったんですね。でもこの病気には少しがんばって飲んで欲しいのですが。浮腫みも減って効いてると思いますよ。」

そこで冒頭の「死ぬ覚悟」の逆襲に会う羽目になった。

「あなたはすぐには死にませんよ。それにステロイドはそんなに怖い薬ではないのです。少ない量から、もう一度試してみませんか?」

私たち医師は時に自分の言葉の力(ポジティブな力もネガティブな力も)を軽視しすぎると思う。EBMで重視される統計学的真実を若い医師は最も重視する。薬物治験のランドマークスタディのデータは細かくそらんじているが、自ら医師の言葉が治療効果に関わる大きな「介入」であるとは、つゆとも思っていない。医師の言葉は最良の薬になるかもしれないが最悪の毒薬にもなりうる。言葉によって古い医師は癒し言葉を最大の武器とした時代は(ヒポクラテスの頃?)けっして大昔のことではないのだ。

往診の帰り際、ベッド上の老夫人は、ステロイド治療をなんとか承服し、少し明るい笑顔を見せた。

「私たち医師などの力では、ひとの寿命を長くも短くもできません、ただ辛いことを和らげるためのノウハウくらいは幾つか知っているのです。少し一緒に頑張ってみませんか?」

医療は畢竟、死を迎えるまでの僅かの期間のquality of life(QOL) を守ることでしかないと思う、なぜならどのような難病患者でも逆に健康人でさえも、いずれ等しく死を迎えるからだ 。「生は平等ではないが死は等しく万人に平等だ」という、浦沢直樹の「モンスター」というコミック大作の主人公の言葉に私は完全に同意する。しかし救いを否定しはしない。人の生命は平等ではないかもしれないが、しかしあらゆる生に等しく救いはあり得るのだと。

だからこそ私たち医療提供者は、医療の限界を謙虚に認め、患者の不安を切り捨てず、求められる医療の形を粛々と(この「粛々」という言葉も一部の心無い政治家の手垢にまみれてしまったが・・・)実践する義務があるはずだと思っている。

何故らびっと? Concept 院長ブログ 医療雑話 クリニックからのお知らせ Doctor's Fileにて紹介されました
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