7歳の雌のラブラドールレトリバー(黒ラブ)と暮らしている。最近あごひげが白くなってきた。同じ食事量でも体重が増え続けるため、先日かかりつけの獣医さんからおやつの与え方を注意された。
数年前は犬に引っ張られながらの散歩だったのが最近は後ろ手にリードを引いていることが多い。時々振り返ると彼女は腰を落として疲れたという顔をしている。
しかし定時には餌をねだるし、食べるスピードも衰えた様子はない。部屋に転がっているといつの間にか大いびきをかいて寝ている。屈託がないのか、想像力が欠如しているのか。
犬の老いを感じ始めたものの、まだ介護を要するまでには少し時間があるだろう。でもそのときは確実にいつかくる。
一方老境の母親は体調の違和感を毎日全身くま無く探しては執拗に苦痛を訴える。家族とのコミュニケーションの唯一の方法が痛みの訴えであるかのように。母親と犬の老いの捉え方の違いは何だろうと考える。人間は経験に学ぶが、自分の老いを考えるときにその経験はどれくらい役に立つのだろう。不安をうまく処理できない老人は未来を憂い様々な身体症状を訴える。むしろここでは経験と知識が平穏を遠ざけているようにしか見えない。犬の痛みはおそらく現在感じている痛みを超えることはないだろう。それ以上でもそれ以下でもない感覚としての痛み。10の大きさの痛みが不安や孤独のために100や1000になることはない。おそらく未来を不安に思うことはないだろうと思われる。あるじが晩ご飯をいつもの時間に出してくれるかどうかは気にしているようだが。