らびっとクリニック院長の医療雑話

スーパーヒーローになりたい?

投稿日:2012/9/25

スーパーヒーローになりたいと、少年時代には誰しも願う。昭和30年代後半に生まれた私は当然ウルトラマンに憧れた。フラッシュビームを発光するペン型の変身アイテムさえあれば自分もスーパーヒーローになれるような気がした。日々、低い塀によじ登っては「しゅわっち」と飛び降りる練習に余念が無かった。

少し成長してから医者は身近なスーパーヒーローのように感じた。熱でぐったりした子供に、昔の医者はよく解熱薬らしきものを注射したが、うまく効くと数十分後にはうそのように楽になる。現実的なスーパーヒーローの医者が使いこなす診療器具や薬は、ウルトラマンの変身アイテムだと思った。

さらに十数年が過ぎて、ヒーローではないが何かと持ち上げられることが多い医者の仕事に自分自身がつくことになった。私は、地方都市の小さな市中病院で研修する駆け出しの内科医で、リサーチというものにはとんと興味も無く、寝たきり老人の薬の処方箋を書いたり注射をしたりなどしていた。関節リウマチを多くかかえていた整形外科の医師から内科的な問題を抱えた患者を無茶振りされながら、関節リウマチの患者と接することが増えていった。ある日受け持ちになった40代の関節リウマチの患者が、入院していた6階の病棟から飛び降り自殺をしてしまった。私の受け持った、初めての死亡例である。ヒーローどころか自分が彼女の死に加担した共犯者のような気持ちでいたたまれなかった。

少し後になって、さまざまな偶然の結果私は上京し、大学の病院や研究室でリウマチ学を学ぶことになる。そこでも当時は未だにリウマチ治療はぱっとせず、また私の無力ぶりも変わらなかったにもかかわらず、大学という権威ある組織の中で診療する自分には何がしかのフォースが漲っているのではないかと錯覚するようになった。ひょっとしたらウルトラマンに変身できるのかもしれないと思い上がったのだろう、患者に時々えらそうなことを言うようになった。

もう少し時間がたって外国の研究室で少し免疫学を勉強させてもらうことになった。帰国したときにはさらに救いがたい勘違医になっていた。

時代は下ってバイオ製剤花盛り。リウマチ医はみなこれでスーパーヒーローになれると思ったかも知れない。薬を開発したのは私ではないのに。臨床研究さえ行っていないにもかかわらず。ただ患者さんから同意を得て使用説明書に沿って薬を投与しただけ(?)。それでも患者さんに感謝されると自分の手柄のように得意になる...

20数年前の雨の日、上司の整形外科医と無言で患者の死後処置を続けた私は、彼女が病気に絶望したので飛び降りたのだろうと漠然と思っていた。しかし今は別のことを考える。生前看護師として働いていた彼女の痛みは、おそらくは彼女以外の誰にも共有されることがなかったのではないかということである。痛みをとろうとすることは情動に働きかけることに他ならない。もし今の時代に彼女がバイオ製剤による治療を受けていたら、自ら死を選ぶことは無く看護師を続けていたのかもしれない。しかし彼女を死にまで追い詰めた痛みは果たしてTNFやIL-6の制御だけ(?)で消すことができただろうか?いまの時代にあってもなお情動に働きかけるもっとも強い力は人間の言葉とこころではあるまいか。

私は今再び、暗いトロッコの轍を心細く走る、芥川龍之介の小説の主人公の気持ちを共有している。それは滑走する喜びと爽快を知った後に改めて気付く、道程の暗さと長さでもあるかもしれない。私たちは少しずつ気付き始めている。疾患で失うものは関節の機能ばかりではないことを。時間とお金とそれまでいた社会的な自分の居場所と。そして炎症が消えてもなお消えきらない心のいたみの問題にも。

何故らびっと? Concept 院長ブログ 医療雑話 クリニックからのお知らせ Doctor's Fileにて紹介されました
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