香川県出身の私と妻が首都圏に生活の場を移して20年近くになります。成人後もしばらく郷里で過ごしたのちの上京でしたので、「東京の人」に完全に同化する事はありませんでしたが東京的なものを楽しむには当時の私たちはまだ十分に若かったと思います。時が経って両親が介護を要するような年齢になると、今度は郷里の方がこちらに近づいてくるような気がしています。月に1,2度飛行機に乗って羽田と高松を行き来してみると20年前にあれほど違って見えた関東と四国がさして変わらない事を最近とみに感じます。言葉の違いと言っても、関東のテレビから関西芸人のしゃべくりが聞こえない日はないし、地方放送局のテレビアナウンサーは東京人のような話し方をしている。均一化したわけではなく、モザイク化したような感じです。
私の二人の娘たちは家の中では完全な香川県東部の語彙とイントネーションで話しながら、彼女らの友人からの電話に出ると途端に埼玉県南部もしくは首都圏語の会話に早変わりする。二つの地域性は一体化せずモザイクで独立して混在する。交配しても遺伝子の一つ一つが失われないように。
さて老境の親の生き霊のせいでもあるまいが、中年も半ばをすぎると様々に郷里が(あるいは過去が)、現在に(あるいは子孫に)干渉してきてこれらからなかなかに逃れられないと感じます。ただこれは必ずしも苦痛ばかりではありません。
多少の交通費の節約のため飛行機をやめて、今日は22時東京発の夜行列車にゆられながら帰省の途に就いています。ノビノビ席という、セミオープンな不思議な(横に並ぶウナギのねぐらのような)空間に身を横たえてみると、この「過去に向かって行くような」不思議な感覚が少し懐かしいような、少し切ないような感じで柔らかい。親の病気のことを姉や妻に話す私は医者の私ではなく、親の病状に一喜一憂する私も医者の私ではない。しかしながら、これらもそれぞれ私の中でモザイク状に混在する私自身なのだと観念するしかありません。