らびっとクリニック院長の医療雑話

カズオ・イシグロの映画を見て感じたこと

投稿日:2017/12/18

今年のノーベル文学賞の報道で初めてカズオ・イシグロさんという作家を知りました。

それで先日iTunesで「日の名残り」(1993年)と「わたしを離さないで」(2010年)をレンタルしてみました。それぞれ日曜の午後と土曜の深夜に。

晴れた日の日曜の午後に観た「日の名残り」は、とても静かな余韻を残して心地よかったのですが、土曜の深夜に一人リビングで酒を飲みながら観た「わたしを離さないで」はとても辛かった。最後まで観続けられたのは主人公キャシー役の可憐なキャリーマリガンの演技に救いを感じたからです。

この映画は、生まれた時から臓器移植のドナーになることを運命づけられた少年少女たちの短い人生を描いたディストピア調のフィクションですが、私にはそのようなおとぎ話としてではなく死を教育し受容することを普遍的に扱ったノンフィクションのようにも思われました。

この物語で、ティーンエイジャーの登場人物達は、成人後まもなく自分が誰かを救うための臓器の提供者となり死ぬことを教育され管理され成長します。それを彼らは静かに、ゆっくりと受けとめてゆく。しかし成長して自分の生命・性と向き合うにつれて、決して静かではないそれぞれの反応を示してゆくことになります。圧巻なのは、すべてのドナー達が、最終的には自分の運命に抗う事なく数回の臓器提供の後に「コンプリート」する(死亡する)運命を受け入れていくことでした。この映画の中で唯一の救いに思えたキャシーでさえも、自分の死を受け入れざるを得ない点で例外ではありませんでした。

医者の我々は、人の命を伸ばしたり、死すべき定めを変換できると信じて医療に携わるけれども、100年くらいのスケールで眺めると医者が患者の延命に対してなしうる貢献度などは、いかほどのものでもないことに気づきます。我々平均的な無宗教的日本人であれば、壮年期になって老いを感じ始めてから、あるいは身近な人の死を体験するようになってから初めて自らの死すべき定めについて学び始めるのです。「わたしを離さないで」の少年少女たちはティーンエイジャーにしてその定めを教育され、20台そこそこで暴力的な死を迎えることを運命付けられている。激しく葛藤しながらも死に向き合い、受容せざるを得ない。私達の運命が彼らの運命と根本的に違うと言えるのだろうか?そのような複雑なことを考えさせられた作品でした。痛々しく救いのないストーリーですが、映像と音楽はとても美しい映画です。ぜひ一度ご覧になることをお勧めします。日本人である村上春樹の無国籍的小説も大好きですが、英国人であるカズオ・イシグロによる「日本的」感傷とそれを凌ぐ普遍的な人生観に大きなエモーショナルな体験を得られたことを感謝しました。

何故らびっと? Concept 院長ブログ 医療雑話 クリニックからのお知らせ Doctor's Fileにて紹介されました
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