私が師と勝手に仰いでいるだけなのですが、心療内科医で線維筋痛症のご専門のM先生の外来は素晴らしい。開業してからも月に1度程度見学させていただいていますが毎回発見があるのでとても楽しみです。もちろん線維筋痛症は原因不明の難病であり、名医がみたからといってすぐ治るような病気ではありません。一人の患者さんと20ー30分かけてゆっくり言葉のストロークを繰り返す作業。まさに言葉が治療の最大の武器なのです。バラエティ番組に登場する「ゴッドハンド」を持つ「名医」が、漫画のブラックジャックのようにサクサクキリハリするようには、慢性疼痛は治療できない。
M先生が「私がみれば簡単に治るという病気ではない。(線維筋痛症を見る上で)大切なことは、ずっとおつきあいするということ」なのだと言われたことに強く感動しました。
私がかつて所属していた大きな病院では、高度な医療技術を用いて患者を診断し急性期の治療を行うことを使命としていたようで、慢性期の患者をいつまでも外来に溜め込むことは褒められませんでした。そこでは慢性疾患を有する患者さんと長く「おつきあいをする」ことは美徳ではないわけです。
私の尊敬する日野原重明先生が訳された,フィリップAタマルティ先生の「よき臨床医をめざして 全人的アプローチ」という本の冒頭はショッキングな言葉で始まります。曰く。
臨床医とは、病気を診断したり治療することを本来の任務とする人ではない。 (中略) 臨床医とは、その任務として人間が病気から受ける衝撃全体を最も効果的に取り除くという目的を持って、病む人間をマネージするひとである。
前述の急性期病院で、初期診断と初期治療だけは完璧に行うが全人的に「病む人間をマネージ」しない医師が仮にいたとしたら、彼(女)はタマルティ先生のいう「臨床医」とは言えないことになります。
M先生は心身相関を深く理解し、病気から受ける衝撃全体を配慮して患者さんと対峙される本物の「臨床医」だと思います。この困難な病気を患う方たちを決して見捨てることなくずっとおつきあいを続ける覚悟をお持ちだからです。こうした医師に私はなりたい。